霊の世界に出会って。
今回は【小学校から霊能を志すまで】のお話です。
私は小学校を卒業するまで泣き虫でした。
学校でも、どこでも泣いていました。
ケイジさんが見えなくなってから淋しくなっていたんですね。
きっと泣いていれば、見てくれていて来てくれるんじゃないかって思っていたんです。
ですが、現れることはありませんでした。
その後です。
中学時代はバレーボールをやっていました。
霊の世界の事を意識することは殆どなく、いろいろなことが起こり始めたのは高校生になってからでした。
霊の能力が急激に増していったような気がしたんです。
この頃、その能力を強くしよう、磨こう!なんて思ったりして、いろいろなことに首を突っ込んでいったのです。
霊の力を遣って自分の都合のいいように動かす。
そんな力を得ることができたんだ!
なんて喜んでいたのです。
学校は違うのですが、一つの上の先輩が私を可愛いがってくれました。
私にとって「姉」と思える先輩です。一人っ子だった先輩は私を「弟」と思ってくれたようでした。
暴走しがちな私を見ていた先輩が、
「強すぎる力は身を滅ぼす。強ければいいってもんじゃない」
そう声をかけてくれていたのですが当時の私は聞く耳を持たなかったんです。
というよりもこんなに面白いことを何で手放さなきゃいけないんだと思っていたんですね。
全くわからなかったんですね。
「霊で遊び、神で遊び、仏で遊ぶ」ということに嵌っていたからです。
どうにもならない私でした。
その結果。
同じ波調の低級霊、狸か狐、蛇などの動物霊が憑依している状態になってしまったのです。
身の毛もよだつような恐怖を伴う心霊現象が頻繁に起こり、起きている現象は霊の能力で見ているのか、そうではなくただの幻覚なのか、わからなくなっていたのです。
当然ですが、学校の成績も目も当てられない状態になっていました。
霊の世界を軽く考えていた結果です。
だからこの頃の記憶は本当に希薄で、あまり憶えていないのです。
流石に母も私の異変を察知していました。
母は北海道に住む伯父に相談したのです。
「連れておいで。それはお医者では治せないから」
そう言われた母は私を北海道に送りました。
その頃、伯父は健康相談を受けていて、民間療法の治療家になっていたのです。
実はこの伯父も数奇な運命に翻弄される人生を歩んでいます。
もともとは「ジャーナリスト」だったのですが、自身の健康問題で生死を彷徨い、なんとか九死に一生を得て、北海道の実家に戻り「シイタケ」農家に転身したのです。
その後「生きたシイタケの酵素」を抽出することに成功し、自然食品として販売したこの酵素はいろいろな方々に愛されました。
お医者さんに匙を投げられたお客様なども広くお飲み頂くようになっていたのですが、体の調子がよくなった、具合が悪くなったとか、いろいろなことを聞くと放置できない伯父は一つ一つ検証をしないと気がすまないのです。そうして伯父は自然と健康相談を受けるようになり、治療家の道に進んでいたのです。
伯父は私を見るとすぐにわかったようでした。
「自律神経失調症」と判断したようでした。
統合失調症もあって併発したような感じでした。
それ以上は言いませんでした。
憑依されているとか。
そんなことは一言も言わずに。
「とにかく体が未発達だから、体質を変えよう」とそれだけでした。
この時の私は霊の話を聞いて欲しかったんです。
はぐらかされて聞いてもらえません。
肩透かしをくらった感覚だったのです。
どんなことをして助けてくれるのかと期待して北海道に行ったのですから。
ですが。
北海道で何をすることもなく、東京に戻ったのでした。
戻ってきてやることは
伯父が勧める食事方法。
しいたけの酵素を使った温湿布。
そして規則正しい生活を送ること。
本当にそれだけなんです。
でも苦しかった。
自分で蒔いた種は自分で刈り取らないといけない。自業自得なんです。
簡単な約束事が守れないんです。
規則正しい生活。早く寝て、早く起きる。食べてはいけないもの、飲んではいけないものを守って、決められたもの以外は口にしない。
それでも意識して生活していると少しずつ変化がでてきました。
だんだんと霊に振り回される感覚はなくなっていきました。
「能力も無くなってしまえ」と思っていました。もうこりごりでしたから。
結局、自分で助かるしかないんですよね。
いくら力を貸してもらっても最後は自分です。
助かるか諦めるのか二つしかありません。
私の場合は力はなくなりませんでした。
霊や能力に振り回される感覚は無くなりました。自力で制御できるようになったんです。
それで自分で何かできることはないかと探し始めたのです。
まず宗教に目が向きました。
仏教の教えから入り、修行をさせて頂いたり、そして分かれた先の新興宗教などにも首を突っ込んでは「求めているものと違う!」と憤ったりしました。キリスト教の教えを聞いてみたり、イスラム教も、古代の宗教も研究・・・。
その方向に行ったのは母方の血がさせたのだと思いました。
母方の家は霊能の血統がありましたので、伯父にもその血が流れています。
寺の住職であった曾祖父は修法師であったということもわかりました。
修法師とは日蓮宗の祈祷術を修めたお坊さんです。
なんで自分はこうなってしまったのかと自問自答していました。
(血なんだから。仕方がない)
そう思うことにしました。
宗教を研究することについて伯父は眉をひそめていました。
「いろんなことを知ることは良いことだ。だが深入りするな」とだけ言われたのです。
同時に占いの世界にも没頭していきました。
また眉をひそめられそうだったので、占いのことを伯父には話しませんでした。
姓名判断に暦、方位学、九星気学、タロットカード、カバラ数秘術、西洋占星術、密教の宿曜などなど、一通り囓ってきました。
自分にはしっくりくるものはありませんでした。
高校2年生から3年生になる頃には、
体も心もだいぶ回復してきましたが学校の成績は相変わらずで進路も全く考えることが出来ませんでした。
そういう中で宗教や占いをやっていた私に、
何故だか相談してくる人が増えてきたのです。
友人の相談を受け、そのご家族からのご相談を受ける。友人のお母様のご友人をご紹介される。
多くの方ではありませんが、少しずつお客様がお客様を連れてきて下さる。
そのような流れになっていったのです。
今だから思えることなんですが、
当時は血だからとお手軽に考えました。
それよりも、もっとしっくりくる答がありました。
私の能力が無くならなかったのは、
頂いた魂を粗末にして、体を粗末にして、
霊や神、仏で遊んだ代償なのだと思えて仕方がないのです。
「お前は人の為に働いて返せ」
今はそう言われている気がするのです。(続)